若者能
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第七回 若者能
それぞれの思い
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現代の若者には、日本の伝統文化と向き合う時間が不足していると思う。急速な時代の変化の中で、常に人々は新しいものへ目を向けている。
それはきっと、「より快適」なものであったり、「より分かりやすい」ものであったり…、すなわち人々はどんどんオートマチック化された社会に依存し、
受動的になっているのではないだろうか。その結果、想像力、感受性といった自らの大切な感性を無駄にしているようにも思える。
これは自分自身、仲の良い友達がたまたま能楽師であったが故に気づいたことだが、確かに伝統芸能は我々にとってただ見ているだけではわかることも少なく、
面白さを理解するのは難しいだろう。しかし、「難しいもの」というレッテルを剥がして、素直に向き合えば、これほど日本の特色を表現している舞台は他にはないと言える。
この約700年の伝統を誇る「能」という舞台を見ることが、温故知新という言葉にもあるように、我々若者の世界を広げてくれるのではないだろうか。
そして、それを感受性豊かな今だからこそ見る価値があると思う。
是非、見に来てください☆ |
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本当の豊かさとは何か?時々刻々と変化する環境の中で生活する僕たち。少なからず、世間の波に流されていると思う。
「自分を見つめ直す時間を持つこと」それこそが本当の豊かさなのではないかと思うようになってきた。
能楽も、読書や絵画鑑賞などのように、その1つとしてあってほしい。世界中の若者が、このような文化的な時を少しでも多く過ごしてほしい。
圭介とは、ボーイスカウトを通じて8年ぐらいの友人である。彼からはたくさんの刺激を受けた。
そして、今回は若者能実行委員会という形で、たくさんの人達を刺激できたらなと思っている。観に来てくれた人は、それぞれ何かを感じると思う。
私たちが身近に感じることのできる文化とは少し変わった何かを。しかしそれは、本質が少しも変わっていない日本伝統芸能だということを忘れないでほしい。
そこで、少し考えてもらえたら嬉しい。
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若者能実行委員会に入ったのは、第三回若者能の活動が始まろうとしていた2006年6月頃。
祖父母が観世流に弟子入りしていたために、少なからず能は身近な存在ではあったが、
やはり「堅苦しいもの」「理解しにくいもの」という印象ばかりが先行して、自ら舞台に足を運ぶようなことは無かった。
だが、実行委員会のメンバーの能楽に対する熱い想い、伝統芸能を自分たちの手で継承していこうとする使命感に圧倒され、強く共感し、活動に参加するようになった。
能には、決まった鑑賞の仕方は無い。舞台そのものはもちろん、シテの型(動き)までも究極に無駄が省かれることで、人それぞれ、
自分の感覚や知識の範囲にまかせて楽しめることに、私は能楽の奥深さや魅力を感じる。演者の気を感じるもよし、装束や作り物(大道具)の美術に注目するもよし、
心地よい囃子(音楽)に身を任せるもよし。さらには、そこで眠ってしまっても良いという。そこで見た夢もまた、ひとつの舞台である、という懐の深い解釈に感銘を受けた。
能そのものや演目の知識ばかりにとらわれず、少しでも多くの人に、「自分なりに感じて楽しめる能の見方」を体験してもらいたいと思う。
更に、若者能の活動を通して、多くの協賛企業の方々とお話した中で、若者に限らず社会の中でも能楽を広めていく活動の必要性や重要性を感じることができた。
当委員会の趣旨にご賛同頂いた方々の期待を超えるような、よりよい舞台を目指して努力していきたいと思う。
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祖母が華道の先生であることもあり、私の周りには幼いころから日本の伝統文化があった。
多くの若者は、日本の伝統文化を、堅苦しいと敬遠しがちで、難しいとか、どうせわからないという偏見を持ってしまいがちだと思う。
私も、いわゆるいまどきの若者で、普通の大学生である。新しいものが好きである反面、構えたり、偏見を持たないで伝統文化に親しむことができる。
それは、身近で伝統文化に触れることができたからだと思う。確かに難しい部分も分からない部分もあるが、自分なりの視線や考え方で解釈するという楽しみを見つければいいと私は考える。
例えば、洋楽を聴くときに、歌詞を楽しむ人がいれば、曲を楽しむ人、ダンスやファッション、雰囲気を楽しむ人、と楽しみ方が人それぞれ違うように、伝統文化の楽しみ方も一様ではないのであると思う。
偏見を持ってしまうことはしょうがないことだが、それを払拭することができれば、実は伝統文化が非常に楽しく感じる人や楽しみ方を見つける人もいるかもしれない。
ただ、若者が触れる機会がないだけなのではないだろうか。
食わず嫌いで、伝統文化がどんどん活力を失ってしまったり、本当は好きになるかもしれないのに食わず嫌いのまま終わってしまう人がいるのは残念である。
私が若者能の活動を通じて、新しい考えを持つようになったように、この若者能をきっかけに、日本の伝統文化に触れて、少しでも興味を持つ人が増えれば幸いである。
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僕が「能」を初めてみたときに、能楽師から強い「力」を感じました。
そのときの強い「力」に惹かれて、遠い存在だった「能」に興味を持ちました。
僕の「能」に関する知識は無に等しいです。実際、「能」を見に行ってもストーリーや今どのような場面なのか、というのは曖昧にしか理解できません。
しかし、能楽師から感じる「力」や、能楽堂の「雰囲気」だけでも十分に「能」を楽しめています。
硬く考えられがちな「能」ですが、楽しみ方は自由です。そのことも伝えていきたいと思います。
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能という日本の伝統的文化に触れる機会があり、その時に能楽師の先生がおっしゃっていた「物語はあるが、とらえかたは自由であり、
最初に感じたインスピレーションやイマジネーションは大切なんだ」というようなことを言っていたことがとても共感でき、また衝撃を受けました。
そこで感じた空気や衝撃を自分と同じ世代の人たちにも体験してもらいたいと思いこの企画に参加しています。 | ||||||||||||||||
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ひとたび日本を出ると、当然のことながら、日本語が外国語になります。
1年の大半を日本で過ごす私にとって、それはまさに日常が非日常に変わる瞬間です。 この清新な感覚を、私は能を初めて観たときにも感じました。日常から、非日常へ。 この感動を、もう少し具体的な言葉でお伝えできれば良いのですが、舞台の重厚な佇まいが醸し出す雰囲気や、能楽師の方々の演技、音楽にどのように呑まれるかは、見ている方次第でしょう。 難しく考えず、感じたままの感覚で、「非日常」を楽しんで頂ければ幸いです。
最後に、伝統を受け継ぐということは、過去と現在を繋げるだけではなく、現在をより豊かな未来へ導いていくこと でもあるように思います。
若者能を通じて、一人でも多くの若者が日本の素晴らしい伝統芸能に興味を抱き、遠い未来へと想いを繋いでいくことができればとても嬉しく思います。
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もともと、日本の伝統文化のような"続くこと"にとても興味を惹かれていました。気の遠くなるほどの長い間、それぞれが異なる人々の手で伝承・継承されてきたもの。創始者や中興の祖、はたまたそれを支えた継承者たちの一人一人の人生が関わっている。そのことに思いをめぐらせると、一人の力だけではない、たくさんの重責や意志が途切れることなく続いた歴史の長大さに、畏敬の念を抱きます。その一方で、伝統文化は時代の流れに合わせて柔軟に一部の形を変えたりと、親しみやすさも並存しています。
皆様には若者能で、現代まで続いてきた能の最先端を観ていただきたいと思います。伝統文化に距離を感じている方も、百聞は一見に如かず、思いがけない自分なりのアプローチの仕方を発見できるかもしれません。
開催に向けてご協力頂いた方々の期待に副えるような舞台を目指して邁進して参ります。皆様のご来場を心よりお待ちしております!
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